私はオタクなのか?ていうか私は絵描きなのか?

という長年考え続けている疑問。というのはあまり自分がオタクだと思った事がないから。もっというと自分が絵描きだとか創作者だともあまり思ったこともない。ROM専がたまに萌えを絵にする程度、の自己認識で生きてきた。ネットに居場所がない話 | A piece of pie (starfree.jp)でも少し触れたんだけど、基本的に私は何かに熱中してる時は並行してインプットすることが出来ない。ので、今ペダルに再熱しつつ絵とか小説とか形に出来てるのは奇跡に近いと思う。それでも高校生の頃ペダルにハマった当初はこんなハマり度合じゃなかった。毎日推し(手嶋)の事考えて登下校してたし、妄想に忙しくて友達付き合いをなあなあにしてしまった事をちょっと後悔してる。お金もめちゃくちゃ使ったし、毎日支部の海を泳ぎすぎて寝不足だった。「今日こそは絶対12時までに寝る…!」って決意しても学校から帰ってくると夜中2時とか3時まで永遠とネットサーフィンしちゃうんですよ。それくらいとりつかれてた。

お、話がずれてきてるな?とにかくなぜ私が自分がオタクなのか自問してしまうには複数理由がある。一番に考えられる理由は母親に起因すると思う。私の母はオタクとは真反対の位置にいる人で、以前「漫画もアニメも同じでしょ」との衝撃の発言をかましてきた。母が触れたことのある漫画はキャンディー・キャンディーくらいだ(古い!面白いけど)だから漫画やアニメを好きな自分、というのを意識的に隠してながら生きてきた気がする。どうせ好きな物を言ってもお母さん興味ないしな~みたいな。ここまで書いて分かったけど、私は自分がアニメなどが好きな事を物凄く恥じて生きてきたんだなあ。なんか色眼鏡で見られるのがずっとやだった。中学では運動部に属していた事もあって、なんとなくあの時期特有の”アニメ好きな奴キモイ”みたいな雰囲気に私も飲み込まれていた。あと昔から絵を描くことは好きだったんだけど、二個上の姉が幼いころから死ぬほど絵が上手かったので「絵が上手いのはお姉ちゃんよね」って空気が家族や知人の中では当たり前にあって、そういうのもあってアニメ好きな自分や絵を描く自分をかなり隠してました。私はお姉ちゃんとは違う属性なんだよねーみたいな。今でも思い出すけど初めて自分の描いたイラストが小学校の修学旅行のしおりの表紙だかに選ばれたとき、すごく嬉しかったのに「どうせお姉ちゃんに助けてもらったんでしょ」ってクラスの女子に言われたんですよね。あと中学の頃卒業する先輩一人一人に似顔絵入り色紙を渡そう!って事になって部内で唯一絵が描ける(と思われていたし、まだそう自称していた)私が7枚くらい先輩の似顔絵を本人たちに寄せて描いた時、それを見た顧問が「なんだこれ?美術の課題じゃねーんだよ!」ってまあこれより5倍くらい酷い事をめちゃくちゃに言ってきたんですよね。当然褒められる物だと思っていた中学生の私は号泣しました。そういうチクチクしたのが積み重なってちょっと(昔はかなり)絵を描くことや比較されることに敏感でした。だから私は人前で絵を描くことがいつも怖かったし、出来たら避けてきたし、自分は絵を描く人、よりも読むことを楽しむROMで時々描く程度、と自己認識をしてました。自分の絵柄が人に受けるものではないのかなって物凄く自問自答した時期もあったし、デフォルメ寄りの絵柄に無理に寄せていた時もありました。(今でも人前でイラストを描かなきゃいけない時はそう)でもまあ結局私は私なんだよね~って大人になった私は思う。私は私の絵を描いていい、って思えるまでこんなに時間がかかっちゃたなあ。結局私にとって絵は趣味でもたまらなく好きなことでもなく、萌えを形にする手段でしかない気がする。

母の話に少し戻るけど最近良いことがありました。「どうせお母さんアニメとかに興味ないし、ならオタクをオープンにしても問題ないのでは?」とふと思い、前は絶対にしなかったリビングでアニメを見る、とか推しのグッズを買って部屋に飾るとかしてみたら本当に何にも言われなかったんですね。私はてっきり否定されたり馬鹿にされるんじゃないかと思ってたんですけど、むしろ反応がよかったんです。母がある日私の机の前に飾ってある大量のペダルのアクスタを見てこんな事を言ってきました。母「このプラモ(アクスタ)たち、すごくカワイイわね~」私「うん、カッコイイでしょ」母「カッコイイっていうより、可愛い、かなあ?なんか温かみがあってすごくいいわ」……びっくりしました。母にそういう感性があったことと初めて自分の好きなものをすんなり受け入れられたことに。いや、もともと否定とかしない優しい母親なんですけど私のすることに昔からあまり興味関心を示すタイプの人ではなかったので驚きでした。「でもなんでこんなこの絵は温かいって感じるのかなあ」と聞かれ、この先生は今の時代では珍しいアナログカラーで描いてる先生なんだよ、と伝えたら「ああ!だからね!」とニコニコ納得していました。意外と好きなものオープンにしてもいいのかも…?と思えました。ってここまで書いてまた思い出したんですけど、母に自分の好きな物をオープンにするのやめよっかなって思ったきっかけがちゃんとありました。小学4年くらいの時、当時から私は本の虫(というか活字オタク)で図書室の本という本を読みつくしていたんですね。でその時読んだ”霧の向こうの不思議な町”という千と千尋の神隠しの元になったとされる小説がとても面白くて母にも読んでもらおう!と思って家に持ち帰りました。母は「面白そうだね~時間のある時に読んでみるね」とは言ってくれたものの、結局当時始めたばかりの仕事が忙しく、母が読んでくれるのを待っているうちに図書室の貸し出し期限が切れてしまいました。今なら母がどれくらい忙しく本なんて読んでる暇がなかった事を痛いほど理解できますが、子供だった私はただただ母が私の勧めた本を読んでくれなかった事が悲しくて、しばらく恨めたらしく母を責めてしまいました。母も姉も「あまり人や物に興味が持てない」とよく言うのですが、私はそれを相手が隠して接してくれても態度や表情で読み取れるのが悲しくて、自分の好きな物を誰かにシェアする事を極端に避けてきました。というか自分の好きなものやことを何も知らない人の何気ない一言で傷つけられるのが嫌なのかもなあ。(なんかごちゃごちゃしてますねすみません。漫画もそうですが、文章も書きながら考えをまとめようとするクセがあります)

だからどんなに親しい友達でも私がアニメや漫画を好きなことは一切知らないし、無論私が絵を描くタイプのオタクであることも知りません。でも不思議とそれを寂しいとかは一切思わないし、知ってほしいとかも思わない。私がそういう保守的?なタイプだからすごくオープンなオタクの友達を見るとびっくりしてしまう。一昨年知り合った女の子は全くそういう知識のない人に自分がコミケに行った話をしたり、イベントで記念として作ったかなりオタク感のあるトートバッグを堂々と使っていて凄いなあと思いました。そういう自信みたいなものって過去にどれくらい自分の好きな物をオープンにして受け入れられてきたかに関係するんだろうか。よくわからないけど今の私のオープン具合は周囲の人にバレないようにチャリの鍵にこっそり推しのラバストをつけるくらいです。あまりこれからも変わるとは思わないけど、キャラクターグッズを買おうとか、一目に着くかもしれない場所に付けようとか思えるようになっただけでも大きな進歩なのかな。今後私と絵とオタクであることがどう変わっていくか見物だね。

おしまい。